河野 義行

Add: otohyri96 - Date: 2020-12-14 23:12:43 - Views: 7028 - Clicks: 9390

河野義行さん 1950年生まれ。会社員だった94年、松本サリン事件(長野県松本市)に遭う。警察などから犯人扱いされる被害にも。. マスコミの出しているものは「情報」という商品です。きちんとチェックして「不良品」を出さないようにしてほしいですね。そういうシステムを作ってほしい。 それから品質の「良品」「不良品」の基準を各社統一してほしいと思います。 たとえば事件の容疑者報道において、松本サリン事件では「人権に配慮して匿名に」ということでしたが、二つの新聞社は最初から最後まで実名報道をしまし た。この実名報道がA新聞にとっては「不良品」でも、実名報道したB新聞にとっては「良品」という扱いですよね。 人権に配慮するというのなら、すべての新聞社が匿名にしなければ意味がありません。一社でも実名を出せばそれをみた人がインターネットでだしたりします から、結果として深刻な報道被害が起こってしまう。. 報道は何を学んだのか : 松本サリン事件以後のメディアと世論. 毎日新聞 年01月08日. See full list on min-iren.

1976年長野県松本市に転居し、結婚。 1994年6月に「松本サリン事件」に巻き込まれサリンの被害を受けるだけでなく、. 関係者の対応は次のとおりであった。 1. 松本サリン事件 死者の名前に信州大学生. See 河野 義行 full list on amnesty. ◆河野 義行(こうの・よしゆき) 会社員。1 1950年生まれ。�.

河野さんの妻・澄子さん. ―――奥様は今も病床に臥して大変な状態でいらっしゃるわけですけが、その一方で父親が犯人と疑われて監視の中に置かれる、ご長男さえも共犯という形で疑われるという状態が、事件発生当初、一年近く続きましたね。 そんな中で河野さんは、家族の絆というものをどういうふうに作り、維持していこうとされたのでしょうか。 そうですね。わたしの子どもは当時、中3、高1、高3でした。とても多感な時期であったし、いじめの対象にもなっただろうなと思い起こします。そんな状況の中で、子どもたちには、事実をありのまましゃべりましたね。 子どもたちを集めて、「お父さんは場合によっては近々、逮捕される。その可能性が非常に強い。そうなった場合、お前たちは一人ひとり、自分で生きていかなきゃならない。おそらく、お父さんには会うのも難しくなると思う」と。だから、子どもに全て任せる、と。「家にあるお金。あるいは家、土地をお前たちの意思で売るなら売れ」というところまで話したわけです。 その結果、子どもが大人の自覚を持っていったとは思います。家の財産を、場合によっては自分の意思で売らなければならない。そういうことで、「父親もあてにならない、母親もあてにならない」と自覚した。だから、正直に話したことが子どもにとっては良かったと思います。親父が指図して、「子どもは子ども」という場所に置いていたら、子どもたちはかえってつらかっただろうと思いますね。 そして、「お父さんは最悪、死刑っていうこともあり得るんだぞ」と。「そこからどうやって前へ出ようか」という点を、いつも子どもたちと話し合って方向を決めて行きました。そして、「卑屈になるな」と言い続けました。意地悪されたら許してやれ。少なくとも、「意地悪する人たちよりは、少し高いところに心を置いておこう」というような話を、常にしたわけです。精神的には、そういうことで持ちこたえてくれたんだろうなと思うんです。 ―――「地下鉄サリン事件」が発生して冤罪が晴れた後、河野さんに対する人々の対応はどういうふうに変わりましたか。 マスコミっていうのは、例えばわたしを極悪人にも描けるし、あるいは美化して英雄にもできるんですね。 わたくし自身は、例えば事件前と事件後、生き方も考え方もそんなに変わっていないわけです。ところが、事件が起こって「こいつが悪い」という一つの路線、編集方針と言ってもいい. 当初、長野県警察は、サリン被害者でもある第一通報者の河野義行を重要参考人とし、6月28日に家宅捜索を行い薬品類など二十数点を押収。その後も連日にわたる取り調べを行った。この際当時松本簡易裁判所所属であった判事松丸伸一郎が捜索令状を発行しているが、本来過失罪で請求するところを、手違いにより殺人未遂罪として発行していた。 長野県警察は河野宅から、それまでに押収した農薬からはサリン合成が不可能であることから、一部の農薬を家族が隠匿したとして執拗に捜査を続け、捜査方針の転換が遅れることとなった。長野県警は事件発生直後「不審なトラック」の目撃情報を黙殺した。また、事件発生直後、捜査員の一人の「裁判所官舎を狙ったものでは? マスコミ本来の使命は読む人に有益な情報を正確に伝えるということですが、一番大きな使命は、権力の批判 とか監視をすることにあると思うのです。個人が権力に対してものをいってもおそらく門前払い、それが正論であっても。そういうときにマスコミがきちんと批 判していくことによって、権力は変わらざるを得ないという部分がある。一番大事なのはそこじゃないかと思っています。 マスコミは自分たちの使命をきちんと果たしてほしいものです。 聞き手・斉藤千穂記者 写真・若橋一三 いつでも元気.

6)ほかに新風舎文庫版『松本サリン事件報道の罪と罰』(浅野健一との共著 第三文明社、1996. また、サリンが農薬であるとする誤解は現在に至っても根強く、農薬の危険性が必要以上に叫ばれる状況を作り出す事件にもなった。その後も、あたかも農薬を混ぜることによって、いとも簡単にサリンを発生できるかのような発言が続いた。この発言は、農薬からサリンを生成できるという認識を植え付け、冤罪報道の拡大にも繋がった。 2. 河野義行さん、オウム死刑執行「何の解決にもならない」 - 朝日新聞 オウム松本元死刑囚を拘置所で間近に見ていた獄中者から届いた手紙の気になる内容(篠田博之) - Yahoo! 松本サリン事件で妻を亡くした河野義行さん(62)は年、長年住み続けていた長野県松本市から鹿児島市に移住し、今年6月、著書「今を生きる. 当時の国家公安委員長野中広務は、個人として河野に直接謝罪している。 2. その日の夜、「被疑者不詳で会社員河野義行宅を強制捜査し、薬品類数点を押収した。その中には殺傷力のあるものが入っていた」「容疑は殺人罪」と警察が記者会見で発表しました。翌日から私が犯人扱いで、自分が言っていない内容がどんどん記事になっていきました。 七月八日に、「友人が作ってくれた」という新聞の切り抜きのファイルを娘がもってきてくれたのですが、そこには私が「薬品の調合をまちがえた」とか、私 と妻が警察に行って「薬の調合をしていたら白い煙がバッとあがった」と供述したなどと書かれている。妻は意識不明のままの状態が続いているのにですよ。 河野 義行 「捜査本部の話によると」とあったので、警察に問い合わせると、「そんなことはまったく話していない。お疑いなら、われわれの記者会見議事録を全部おみせしますよ」というのです。. 関係者の対応は次のとおりであった。 当時の国家公安委員長野中広務は、個人として河野に直接謝罪している。 長野県警察は、本部長が「遺憾」の意を表明したのみで「謝罪というものではない」 と直接謝罪もなかった。.

河野澄子さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。 と同時に義行氏の蒙ったご苦労や冷静で真摯な対応、社会への警鐘が忘れ去られることの無いようメディアの再考を望みます。. 松本サリン事件の被害者にもかかわらず捜査対象となった河野義行さん(68)は26日、愛知県豊橋市で記者会見し「事件の真相は(死刑執行された. 人間力・仕事力を高めるWEB chichiの、松本サリン事件で殺人罪の容疑をかけられた河野義行さんが語る、「真の幸福の見つけ方」とは?のページです。.

三三日間の入院後、帰宅してほかの新聞をみても同じ内容でした。「マスコミがメチャクチャな記事を勝手に書いている。この国のマスコミはいったいどうなっているのか」と憤りを感じました。 新聞というのは大きい記事をひとつドーンと載せると、つなぎの記事が必要になってくるようですね。当時私はとても取材を受けられる状況にはなかったの で、私の話を載せることもできない。何もなくても書かなくてはいけないということで、近所の人とか、会社の同僚とかいろいろ取材して、この男がこんなに怪 しい、という記事を出していくわけです。 それが疑惑を増幅させ、多くの人が「この男がやった」という確信をもってしまうという状態になっていったようです。. 河野義行 私は、「松本サリン事件」(1994年6月発生)の被害者でありながら、1年近くも犯人視された報道を続けられました。また、年7月から年7月まで、長野県公安委員も務めました。. 」との推測も、聞き入れられなかった。 マスコミは、一部の専門家が「農薬からサリンを合成することなど不可能」と指摘していたにもかかわらず、オウム真理教が真犯人であると判明するまでの半年以上もの間、警察発表を無批判に報じたり、河野が救急隊員に「除草剤をつくろうとして調合に失敗して煙を出した」と話したとする警察からのリークに基づく虚偽の情報を流すなど、あたかも河野が真犯人であるかのように印象付ける報道を続けた。実際は、事件発生当日の1994年6月27日に、河野が薬品を調合した事実はなかった。 1. 河野義行宅を強制捜索した。 その結果、薬品類数点を押収し、薬品の中には殺傷力のある薬も含まれている。 強制捜索をした罪状、それは被疑者不詳の殺人、こういう発表だったのです。. こころナビ 松本サリン事件被害者・河野義行さんに聞く 「困難」「幸せ」受け止め方次第. 長野県松本市在住の河野義行さん(当時44)は1994年6月27日夜、夕食をすませて自宅の居間でくつろいでいた。 午後11時ごろ、妻の澄子さん(同46. その後、河野義行は当時の長野県知事田中康夫によって捜査機関において事件の教訓を生かすために長野県警察を監督する長野県公安委員会委員に任命され、これを1期務めた。 しかし、後に生坂ダム殺人事件の長野県警の捜査ミス糾弾において、田中知事の意にそぐわなかったため、河野は県公安委員を事実上更迭された。要出典.

comの河野 義行の著者ページから参考資料を探します。. この論調は、特に地元有力地方紙である信濃毎日新聞により伝えられた。 3. 河野 義行(こうの よしゆき、1950年 - )は、日本の著述家。特定非営利活動法人リカバリー・サポート・センター理事。愛知県 豊橋市出身。名城大学理工学部卒。山岳写真家の河野齢蔵は妻の祖父にあたる。. しかも、河野義行さんは、当該事件によって奥さんを亡くしており、警察とマスゴミの馬鹿さ加減が際立った。 当時、杉尾秀哉は、TBSの「ニュースの森」に河野義行さんを疑惑の人として呼びつけ、生放送で犯人として決めつけるような質問を浴びせた!. 長野県警察は、本部長が「遺憾」の意を表明したのみで「謝罪というものではない」と直接謝罪もなかった。しかし、後の年に長野県公安委員会に河野が就任し、長野県警本部長がかつての捜査について謝罪せざるを得なくなり、初めての謝罪をした。 3. 河野 義行(こうの よしゆき、1950年(昭和25年)2月3日 - 河野 義行 )は、日本の著述家である。 1994年(平成6年)に発生した松本サリン事件の被害者。事件後に警察およびマスメディアにより、事件の有力な容疑者であると見なされ報道被害を受けた。. 河野義行 ほか著 岩波書店.

1950年愛知県生まれ。1994年6月、一家で「松本サリン事件」の被害に遭う。自宅付近からサリンが発生したことから、当初、長野県警の家宅捜査を受け、マスコミからも犯人扱いをされた。 翌年、自らの潔白を証明し、名誉を回復するため、日本弁護士連合会の人権擁護委員会に人権救済を申し立て、地元新聞社に対して民事訴訟を起こす。現在は、「報道改革」や「犯罪被害者救済の立法化」を求め、講演活動を行っている。著書:「『疑惑』は晴れようとも」(文芸春秋社)、「妻よ!」(潮出版) 次へ:島田荘司さん. 94年6月の松本サリン事件で警察やメディアに犯人扱いされた河野義行さん(70)。無実を訴え、サリン被害を受けた妻を懸命に看護し、3人の子供を守った。95年3月のオウム真理教による地下鉄サリン事件で、ようやく疑いは晴れる方向に。今も月2回、講演を続ける。自分のように理不尽な目に. ―――オウム裁判の判決が出ました。少なくとも無罪になった人はいません。その中で、一人だけ無期の判決が出て確定するという特異なことが起こりましたね。地下鉄サリン事件の実行行為をした人の一人が無期になった。 しかし、「その実行行為に参加したけども、その人の行為では誰も死ぬ人がいなかった」という人が死刑になりました。その点については、どういう考えを持っていらっしゃいますか。 河野 義行 検察に協力した人に対して、検察が情状酌量みたいな形で求刑を下げたんですね。でもそれは全くおかしな話で、求刑というのはやったことに対してきちっと決めるべきものですね。一方で、情状酌量というのは弁護士がやることなんだけれど、検察が弁護士の仕事をやっているかのような違和感を感じました。 ―――「死刑か無期か」とか、「懲役何年か」というのは裁判所が決めるように見えるけれど、検察が死刑を求刑して、それについて強く立証し、声高に主張すればやっぱり死刑になる。ところが、無期しか求刑しなければ、無期判決しか出てこないことが多いですね。そのあたりから、「死刑の量刑の公正さ」というんでしょうか、仮に死刑が是としたところで、その是とする死刑が公平・公正に適応されているかとどうかについて、疑わしいという感じ方も出てくるわけですが。 今回の麻原さんに対する死刑判決をお聞きになって、どういう印象を持たれましたか? 世間には被害者の気持ち、悔しい思いとか、あるいはやりきれない思いを死刑が癒してくれるという考え方がありますが、それについてはどのようにお考えですか。 これは全く私的な意見ですけどね。仮に、麻原さんのしたことが、その起訴事実、起訴された内容の通りであったとします。それでは死刑が麻原さんに対して極刑が妥当かと言えば、わたしは違うんじゃないかと思っているんです。 麻原さんは、死刑なんて何とも思ってないかもしれないですよね。わたしは新聞にもコメントを出したんですけども、自らを「最終解脱者」と言って、来世もあると信じている人であれば、「この世の終わりはあの世の始まりだ」というとらえ方をしているかもしれない。だから、「本当に麻原さんが悪い人であれば、終身刑の方がキツイのでは」という言い方をしています。 それで、今回控訴したということは、事実が違うか量刑が不服だということ、これしかないわけですよね。それならば、じゃあどこが不服.

松本サリン事件の死者は8人にのぼった。 その中には、第1通報者で冤罪に仕立て上げられた、河野義行さんの妻の澄子さんや、1人暮らしの信州大学生、会社員らの名前が。. 河野 義行(こうの 河野 義行 よしゆき、1950年(昭和25年)2月3日 - )は、日本の著述家である。 1994年(平成6年)に発生した松本サリン事件の被害者。事件後に警察およびマスメディアにより、事件の有力な容疑者であると見なされ報道被害を受けた。. ―――死刑制度について、どうお考えですか。 死刑というものに、わたしはずっと反対の立場を取ってきました。人が人を殺すことがいいことであるわけがありません。 それから裁判というものを考えた時に、裁判にはミスジャッジがある。例えばミスジャッジで、何もしていない人を死刑で殺してしまった時に、あとで戻しようがないですね。執行してしまったらどうしようもないです。まあ、そういうこともありまして、わたしはまず「反対」です。 それから、例えば死刑が犯罪の抑止になる、こういう極刑があるから犯罪が抑止されるという言い方がされますが、わたしはそんなこと全くないと思います。少なくとも犯罪をする人が、「ここまでで無期だから、これ以上は、殺すのはやめよう」とか、自分の量刑を考えて犯罪をするわけじゃないと思います。そもそも犯罪の多くは突発的に起こっていて、感情的に動いて、「気がついたら殺してしまっていた」というものです。そういう意味で、死刑が犯罪の抑止になるという考えは、わたしは全くの思い違いだと思います。 それから「死刑制度がある日本で、犯罪が抑止されているか」という問題があります。今、刑法犯が年間285万件ありますね。ちっとも抑止になってないじゃないですか。こういったデータからも、死刑が犯罪の抑止をしているという分析は間違いだと思っています。 このメッセージは、年9月11日午後、東京都新宿区の早稲田奉仕園で行われた「オウム裁判・冤罪と死刑を考える」(主催:死刑廃止条約の批准を求めるフォーラム90)での河野義行さんの発言をまとめたものです。(文責:アムネスティ・インターナショナル死刑廃止ネットワークセンター).

河野 義行さんの後を追って、Amazon. ニュース 個人 「松本サリン事件」年6月27日で26年になる。 第一通報者の河野義行さんは、犯人に仕立て上げられた。 1995年3月20日、オウム真理教による『地下鉄サリン事件』が発生。これにより、松本サリン事件もオウム真理教による犯行とわかり、河野さんへの疑いは晴れました。 河野さんは「許す. 報道被害とは、「マスコミで出される」というより「報道を信じた人が行動を起こす」という被害だと思うのです。多くの場合、その間違った報道によって風評被害が出たり、あるいは直接的にいやがらせをする人がでてきたりとかいう被害です。 私は実名で、しかも最初は被害者として住所まででてしまいましたので、中傷電話や夜中の無言電話などが半年ぐらい続きました。そちらの被害がつらいです ね。「死ね」とか「町からでていけ」とかそういうことを一方的に自分の名も告げずに言う。報道が真実だと思った人が「おれが制裁してやる」ということなの ですね。法を犯したものを制裁できるのはマスコミでも警察でもなく裁判所です。「罪」には相応の「罰」を、というのが原理原則です。そういうものがいまお かしくなっているというか、守られていないということだと思います。 事件の容疑者についても、犯人とは決まっていないのに家族、友人にまで同罪だというような動きになってしまう。本当はこのような人たちをこそ、マスコミ がきちんと批判しなくてはいけないはずなのに。. 河野義行さん(65)だ。 警察は執拗に取り調べを行い、マスコミも連日のように河野さんへの疑いを記事にした。. 佐藤大介、河野義行、安田好弘、野田正彰、鎌田慧、杉村昌昭、中山千夏、栗原幸夫、山際永三、浅野健一、団藤重光、渡辺脩、坂上香、池田浩士、福島瑞穂、太田昌国、小林修、ほか 、 年報・死刑廃止編集委員会 | /10/1. More 河野 義行 videos. ニュース - Yahoo! 河野義行 著作 『妻よ!

マスコミ各社は、誌面上での訂正記事や読者に対する謝罪文を相次いで掲載した。久米宏が当時「ニュースステーション」の中継対談で番組の“顔”として詫びた。また前述の『週刊新潮』の謝罪は今も行われていない。なお、報道各社の社員個々人による謝罪の手紙については河野のもとに多数届いたという。 4. 10 岩波ブックレット No. 化学兵器に関する戦史・科学史の専門家である常石敬一が、「毒ガスの専門家」としてNHKなどのメディアに出演し、「有機リン系の農薬などの薬品が何らかの原因で池に流れ込むなどして,水や水中の藻,微生物などと反応し,神経ガス様のものが発生した可能性がある。」「製造方法がわかっているのは原爆も同じだが,はるかに身近な材料で殺人兵器と同じものができてしまうことを見せつけたのが今回の事件だ。」などと発言したことも冤罪報道を助長した。 4. 94年6月の松本サリン事件で警察やメディアに犯人扱いされた河野義行さん(70)。無実を訴え、サリン被害を受けた妻を懸命に看護し、3人の子供. See full list on weblio. ―――麻原裁判の一審判決がありましたね。オウムの元信者たちの審判決が終わって控訴審になりつつあります。この間、一年間で16人ぐらいの人に対して死刑判決が出ていますね。 麻原裁判をはじめとするオウムの一連の事件の裁判をご覧になった、あるいは注目してこられたと思いますが、裁判の動き方とか裁判の中で行われたことに関して、どのような印象をお持ちですか。 「裁判官が結論を出す前に世の中が出しちゃってる、あるいはマスコミが出しちゃってる」ということですね。言ってみれば、「判決前に判決が出ている」ような社会状況になっているところが、とてもおかしなことだと思います。 例えば弁護士が、証拠について検察に質問して「説明しろ」と言うと、「弁護団は裁判を遅らせているんじゃないか」という批判が出てきましたね。弁護士は真実を追求するのが仕事ですから、疑問があれば聞くのは当たり前なんですけど、それすら、世間が許さない。 それから、麻原さんの一審判決が8年ぐらいかかかっているのが「とてつもなく長い」という言い方をされます。しかし、その起訴項目、あるいは被害者の数――被害者は亡くなった方だけでもずいぶんいますから――そういうものを勘案した時に、わたしは8年というのは短いじゃないかと思っているんです。 ところがマスコミは、「長いですねえ」と先導するんです。じゃあ実質的な審議を、13項目の起訴のようなものを、一つひとつ公正に立証していった時に、他の人がやったら8年でできるのか。その意味で、弁護団や検察は「一生懸命やって8年で詰めた」という認識を持っているんですけども、それもやっぱりマスコミが「長かったのではありませんか?」という質問をして、ただ単に「8年という年月は長い」という言葉を先導する。そうやって、世論の方向性をマスコミが作っているということはあると思いますね。. 河野義行(コウノヨシユキ) 1950年、愛知県豊橋市に生まれる。名城大学理工学部卒業。1994年6月27日に起きた松本サリン事件の被害者でありながら、警察・マスメディアから犯人扱いされ、深刻な人権侵害を被る。. 河野さんはイベントのサプライズゲストとして登場。アトランタの事件の2年前に発生した松本.

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